2026年9月14日月曜日
展覧会:「リトアニア バルトの森に響く歌」名古屋市博物館 9月10日(木)午後
リトアニア バルトの森に響く歌
名古屋市博物館のプレオープンとして「名古屋には秀吉もおるでよ!」-こちらは大河ドラマの流れかな?-と合わせ技の展覧会。リトアニアの博物館と名古屋市博物館が友好館協定を結んだとのこと、その記念展覧会です。バルト三国というますが、それぞれ特徴があるのでしょう。愛知県は、杉浦千畝さんの縁もあり、リトアニアには親しみがあるように思います。民族衣装や会場に響く「歌と踊りの祭典」の様子は、遠い世界を感じますし、映像で伝えられる1990年代の様子は、心に迫るものがありました。「自由」とか何か、今一度考えを巡らせたいと思います。
ソダス 麦わらで作られた細工。光を通して美しい姿を現しています
おもちゃ 可愛い!
聖人たち
ピエタ マリアさまの信仰はやはり心を打つ
年中行事 いつかこの行事をめぐるおはなしを聴いてみたい
名古屋市博物館のリニューアルの全景 またね!
2026年9月9日水曜日
演奏会:「児玉隼人トランペット・リサイタル」しらかわホール 9月6日(日)15:00~
児玉隼人トランペット・リサイタル
トランペット 児玉隼人 ピアノ 北村朋幹
プログラム
武満徹「径」
細川俊夫「トランペット協奏曲 霧のなかで」
ヤナーチェク「霧のなかで」ピアノ
ヒンデミット「トランペット・ソナタ」
リゲティ「マカーブルの秘密の儀式」
ブラームス「間奏曲」ピアノ
カール・ピルス「トランペットソナタ」
アンコール曲
マーラー「花の章」
ネッスラー歌劇「ゼッキンゲンのトランペット吹き」
トランペットは、オペラで言えばテノールの独唱者ですね。空高く響く天上に音に近いのかもしれません。今回はそう感じました。
展覧会:愛知県美術館常設展「第2期コレクション展」 9月2日(水)昼
常設展
コレクションを拝見するのは楽しい。カッパの絵で有名な小川芋銭も楽しかったですが、一番惹かれたのはボルタンスキーの≪影≫。こちらはネットに上げることができないので、皆さん是非ご覧になってくださいね。撮影OKの作品では以下の作品が印象に残りました。単にウィーン世紀末が好きなだけ?
エゴン・シーレ「しゃがみこむ女」
オスカー・ココシュカ「夢見る少年たち」(die traumenden knaben)
展覧会:「スウェーデン絵画展-北欧の光、日常のかがやき」愛知県美術館 9月2日(水)昼
スウェーデン絵画展
東京で2月に行った展覧会、再度愛知会場へ足を運びました。ヨーロッパ絵画の中心がイタリアからフランスそしてドイツへを広がり、北欧にたどり着いたのは19世紀でしょうか。印象派的な絵、ドイツ神秘主義的な絵、そして北欧としてアイデンティティを確立した絵、じっと見つめるとその歩みを感じますし、なにか自信というか静かな力強さを感じます。これからの注目でしょうか。
「4種の鳥の習作」
「そり遊び」うっすら見えるお日様と子どもたちの生き生きした様子
「扉を開けたラッブモール」大地から生まれたような神話的・民話的存在に惹かれる
「ワンダーランド」ストリンドバリの作品。とても印象的。チラシにもなってます
「テューン島のホーガ盆地」これもチラシになっている。ホドラーの思い出しました。
「冬の雪明り」今回の〈お買い上げ〉作品です。
「静かな湖面」こちらを〈お買い上げ」にしても良いかな?
フォトスポット
2026年8月29日土曜日
本:『急に具合が悪くなる』宮野真生子 磯野真穂(晶文社)
『急に具合が悪くなる』晶文社
カンヌ映画祭出品映画の原作ということで読みました。かなり前に出版された本です。読み始めは…とっつき難いという印象。この二人は、例えば幼馴染とか、青春を共に過ごした親友とか、そういう関係じゃない。とある研究会でふと知り合った二人、でも「この人だな」と感じて文通を始めたとのこと。その時点ですでに宮野は「急に具合が悪くなることがありますよ」と医者から伝えられいた由。だから、最初の方はまどろっこしく進む。どこか遠慮というか、探り合っている様子。だから、読み進むのが躊躇われるというか、中々ページが進みませんでした。半分を過ぎたあたりから、がぜん興味深く読み進められるようになるのは、ふたりが研究者として「客観的に話し合っていこう」という形をとるからでしょうか。「この問題を多面的に語り合おう。行きつ戻りつでも、でも前に進もう」という姿勢が心を打ちますし、書かれた議題に惹かれます。「濃密な語らい」でしょうか。言葉を尽くして思いを伝えるということを思いました。
2026年8月27日木曜日
風景:白川公園ーイリヤ・カバコフ「彼らはのぞきこんでいる」
「彼らはのぞきこんでる」
これは、「風景」なのか「アート作品」なのか…。勿論「アート作品」(パブリックアート)なわけですが、意外と気づかない。例えば白川公園の入り口にある「ボールをつかむ爪の
上の野兎」は、ブロンズ像ですし、しっかり「パブリックアート」と認識できます。それに比べるとカバコフの作品は、下手をすると単なるタイル飾り…としか認識し、その上をしっかり通り過ぎていきそうです。設置の角度も意味があるのかな???
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