2012年11月30日金曜日

展覧会:「日本美術の至宝‐後半」 名古屋ボストン美術館


「日本美術の至宝‐後半」
前半展は空いていたのに、後半は…結構混んでいました。掛け軸や屏風絵は、混んでいてもそんなに気にならないのですが、絵巻物は、展示が平台置きなので、どうしても観にくくなります。「空いている所から見てください」と警備の方が声をかけてくださるのですが、絵巻物はちゃんと右から見ないと意味がないのです。ですから順番をついて見ました。
最近絵巻物の面白さに目覚めたので、やっぱり楽しい!
その他の作品では若冲の「鸚鵡図」。この厚塗りの奇妙な立体感、そして、鸚鵡の乗っている華やかでデコラティブなそして妙に平面的な止まり木…。
江戸時代の文化の多様性を感じます。

映画:「北のカナリアたち」 ピカデリー 「危険なメソッド」伏見ミリオン座

「北のカナリアたち」
風景が綺麗。北の島の四季が美しい。そして、子ども達が歌うシーンが心に沁みます。湊かなえの原作という事ですが、それほど「いや~な気持ち」にならないのは、やっぱり「小百合映画」だkらでしょうか。

「危険なメソッド」
こちらは「いや~な話」。でもクローネンバーグだからもっとグロっぽい話かと思ったら、意外と理性的な話。でも。女性が見たら確実に気分が悪くなる話。実話がもとになっているらしいですが、男の嫉妬は、女の嫉妬の何層倍。それにつぶされそうになる女性たちの選択は??100年近くたちましたが、人間関係の複雑さは、今も昔も変わらないものですね。

コンサート:「藤村実穂子メゾ・ソプラノリサイタル」しらかわホール 11月20日(火)19:00~

「藤村実穂子リサイタル」
藤村実穂子(メゾ・ソプラノ)
ヴォルフラム・リーガー(ピアノ)
プログラム
シューベルト
 :水に寄せて歌う D774
 :湖のほとりで D746
 :ゴンドラの漕ぎ手 D808
 :湖上で D543b
 :流れ D693
Franz Schubert
 :Auf dem Wasser zu singen, D774
 :Am See, D746
 :Gondelfahrer, D808
 :Auf dem See, D543b
 :Der Fluss, D693
マーラー:『亡き子をしのぶ歌』
  いま太陽は輝き昇る
  なぜそんなに暗い眼差しか、今にしてよくわかる
  お前のお母さんが戸口から入ってくるとき
  ふと私は思う、あの子はちょっと出かけただけなのだと
  こんな嵐に
Gustav Mahler:Kindertotenlieder
  Nun will die Sonn’ so hell aufgen´n
  Nun seh´ ich wohl, warum so dunkle Flammen
  Wenn dein Mutterlein tritt zur Tur herein
  Oft denk’ ich, sie sind nur ausgegangen
  In diesem Wetter
ヴォルフ:ミニョンの歌
  ミニョンの歌Ⅰ 語れとは言わないで
  ミニョンの歌Ⅱ ただあこがれを知る者のみが
  ミニョンの歌Ⅲ この姿のままで
  ミニョンの歌 君よ知るや南の国
Hugo Wolf:Mignon Lieder
  MignonⅠ Heis mich nicht reden
  MignonⅡ Nur wer die Sehnsucht kennt
  MignonⅢ So last mich scheinen
  Mignon Kennst du das Land
R.シュトラウス
 :献身 op.10-1
 :何も知らず op.10-2
 :夜 op.10-3
 :もの言わぬ花 op.10-6
 :サフラン op.10-7
 :チェチーリ op.27-2
Richard Strauss
 :Zueignung, op.10-1
 :Nichts, op.10-2
 :Die Nacht, op.10-3
 :Die Verschwiegenen, op.10-6
 :Die Zeitlose, op.10-7
 :Cäcilie, op.27-2

同窓会in京都 「木乃婦」

同窓会 in 京都「木之婦」
子どもの幼稚園の同窓会。といっても、同級生でもなく(笑い)、小さな幼稚園に一緒の通った3人(男一人女二人)の親子の集まりに、先生一人という顔ぶれ。
三人は、結婚した子、東京で仕事の子、外国暮らしの子と、様々。 集まるのも、配偶者を含めて集まれる人だけとなりましたが、直ぐに20数年前の気の置けない状態になり、いろいろ語り合って楽しいひと時でした。
今回は先生のご紹介によって「木乃婦」での日本料理の会食。う~ん。リッチ!!使われている器がすべて「秋の器」。季節が変われば料理も器も変わるのでしょう、さすが京都です。
年に一度くらいは、こんな贅沢も良いものです。

外国の昔話 11月のおはなし会に参加して

昔話に限らず、外国の文学は「翻訳」がつきもの。翻訳によって随分印象が変わります。
数年前、岩波少年文庫『最後のひと葉』 (オー・ヘンリー)を読んだとき、「ああ、これは今の話になった」と思いました。主人公のスーの話言葉が、私の知っている10代の女の子の言葉になっていたのです。その為、とても身近な物語になりました。勿論、これは100年前の物語なので、「今の言葉」に翻訳するのが正しいのか、という問題はあると思います(原作はとても平易な英語なので日本の高校生でも読めますが、今のアメリカ人が読んだら、オー・ヘンリーの英語はどのように感じる英語なんでしょう?私達が漱石や鴎外や志賀直哉の短編を読むとき感じるような“何か”はあるのでしょうか?)。
同じように、昔話の翻訳もいろいろ感じることがあります。翻訳によって随分感じが変わりますから。グリムの昔話は、モノによっては方言が入っているものもあり、そのあたりをどう処理するかで印象が変わります(方言が入っていなくても、所謂「~じゃ」とか「~なよ」とかの語尾処理が、昔話はされやすい)。
そういう処理が心地よい翻訳も有れば、いかにも取ってつけたような文章になっているものもある。それら多くの翻訳の中から、自分で「これだ」と思うネタ本を見つけるのは、結構センスを問われるというか、選んだ人のキャラクター・価値観が反映されるので、興味深いことです。
日本の昔話も同じで、どういう「本」を選ぶかで、結構その人の読書傾向が判ったりします。
良いとか悪いとかではないのですが、私も気をつけなくちゃね!反省。

舞台「日の浦姫物語」 コクーン 11月15日13:30~

「日の浦姫物語」

展覧会:「巨匠たちの英国水彩画展」 bunkamura ザ・ミュージアム 11月15日午前

「巨匠たちの英国水彩画展‐マンチェスター大学ウィットワース美術館蔵」
この展覧会は、岡崎市美術博物館で開催されているとき「行きたい」と思った展覧会。でも、いけなかった…のです。結局、bunkamuraで行くことに。
この展覧会は「お買い上げ作品」続出。玄関でも、リビングでも、床の間でも、じゃんじゃん飾れますぞ。ジェーン・モリスがモデルのロセッティの絵も、コープの描いた名もなき少女の横顔も素敵。
勿論、水彩画ならではの風景画は皆美しい。ターナーのけぶるような空気感は、水彩画でもうっとりします。
ところで、会場ではリトグラフも多数売っていたのですが、面白かったのは、絵として優れている「火事」の絵は一つしか赤丸が付いていなのですが、心地よい綺麗な湖の絵には10個以上の赤丸が!
絵をビジネスとして成立させるには、絵の出来もさることながら、絵の主題鑑賞者にとっての気持ち良さも大事なんですね。
 ターナー

 ロセッティ

 コープ

ブレイク
う~ん、ブレイクの絵は…とても好きなんですが、「お買い上げ」しても押入れの中に仕舞いそう…です。

舞台:「楽園」モダンスイマーズ 吉祥寺シアター 11月14日19:30~

「楽園」
「まほろば」が良かったので、蓬莱竜太の本拠「モダンスイマーズ」の作品を見ることにしました。舞台作品でしか表現できない演出は面白かったです。この後、20年間、彼らはどのような思いを抱えて生きたのか?あの事件は、その20年間にどんな影響をもたらしたのか、もたらさなかったのか。「今」を観客に知らせる時のあの音楽は「痛み」を連想させますが、どんな痛みだったのか?それが気になりながら劇場を後にしました。

展覧会:「リヒテンシュタイン 華麗なる侯爵家の秘宝」 国立新美術館 11月14日午後


「リヒテンシュタイン展」
大変「華麗」な展覧会でした。二つの少女の絵は「カワイイ!」の一言ですが、「お買い上げ」対象ではありませんでした。とっても可愛いのですが、なんとなく「他人の可愛い子どもの絵を我が家に飾ってもなぁ…」という気持ちになるのです。この気持になる理由は??
同じ可愛い女の子ということで、ベラスケスの「マルガリータ」を連想すると、これは作品が大きいのですが「買ってもいいかも」と思う。 モデルが特定されるから、「イヤ」というわけじゃない。では、特定の女の子じゃないフェルメールの作品(真珠の耳飾りの絵はそれほどとも思いませんが取りあえず上記2点より“買う”の気持ちが働く)と比較して考えるに、あまりに生々しい感じがするのでてが出ないのか?でも、生々しい「麗子像」は「買い」ですよね、個人的には。
ということで、バロックの芸術の持つ「華麗さ」が私の気持ちを合わないのね…という結論になりました。
展覧会自体は、中々リッチな気持ちになって良かったんですよ。