「阿弖流為」
劇団☆新感線の「アテルイ」は見ていません。今回歌舞伎NEXTとして上演されるというので、期待していきました。
話は中島かずきらしい、新感線らしい話、所謂「少年」ジャンプ」です。それをノリの良さで押し切っていく。主人公はあくまでカッコよく、お助けキャラは明るくいい人、ヒロインは美しく寂しげ。見た後は「スカッと爽やか」で、深く考えることはナシ。安心して楽しめる作品でした。
それにしても、重労働ですね…。色々工夫されていて、個人的にはとても楽しかったですが、所謂歌舞伎ファンの人は????というか、「なんじゃこりゃ」かも知れません。
時代と共に変わっていく面を持つのが歌舞伎ですから、時にこういう作品も出てきて、何か新しいことが加わってくのかもしれません。
最近の新感線の作品は、なんだか暗くて、あまり好きじゃなかったのですが、「髑髏城」や「阿弖流為」は、 人の持つ素朴さを感じることが出来て好きです。大阪で再び見るかしら???悩むところです。
2015年8月4日火曜日
舞台:「トロイラスとクレシダ」 世田谷パブリックシアター 7月22日(水)19:00~
「トロラストクレシダ」
シェイクスピアは、この作品で何を描きたかったのか?若者の色恋沙汰というより、「トロイ戦争」ひいては、争いがもたらす不毛さを描きたかったのでは?と、今回の舞台を観て思いました。
ギリシャの武将たちは、アメリカ、ドイツ等の軍服を着て、 英雄アキレスはランボー…。クレシダの心変わりは、情緒的な心変わりというより、戦争という状況下で生き延びるための一つの選択のように思いました。突飛な連想なのですが、遊牧民の略奪婚-ジンギスカンと妻ボルテとかね-を思い出し、今の道徳観・価値観とは違う古代の人々の選択を思いました。そして、シェイクスピアの生きていた時代もイギリスと大陸との戦いは有ったわけで、征服する・される、勝つ・負けるの意味は、日々の生活を強く結びついていたのだと思いました。その中での「選択」は、今とは随分違う者だったのでしょうし、シェイクスピアの時代の人々も、様々な思いを重ねあわせたのではないでしょうか。
次の日(23日)の朝日カルチャーでの松岡和子さんのお話では「この作品は、古典の知識のある上流階級の人々だけに上演されたのではともいわれています」とのこと。知識が必要とされる作品のようです。
シェイクスピアは、この作品で何を描きたかったのか?若者の色恋沙汰というより、「トロイ戦争」ひいては、争いがもたらす不毛さを描きたかったのでは?と、今回の舞台を観て思いました。
ギリシャの武将たちは、アメリカ、ドイツ等の軍服を着て、 英雄アキレスはランボー…。クレシダの心変わりは、情緒的な心変わりというより、戦争という状況下で生き延びるための一つの選択のように思いました。突飛な連想なのですが、遊牧民の略奪婚-ジンギスカンと妻ボルテとかね-を思い出し、今の道徳観・価値観とは違う古代の人々の選択を思いました。そして、シェイクスピアの生きていた時代もイギリスと大陸との戦いは有ったわけで、征服する・される、勝つ・負けるの意味は、日々の生活を強く結びついていたのだと思いました。その中での「選択」は、今とは随分違う者だったのでしょうし、シェイクスピアの時代の人々も、様々な思いを重ねあわせたのではないでしょうか。
次の日(23日)の朝日カルチャーでの松岡和子さんのお話では「この作品は、古典の知識のある上流階級の人々だけに上演されたのではともいわれています」とのこと。知識が必要とされる作品のようです。
展覧会:「絵の住処-作品が暮らす11の部屋」 DIC川村記念美術館 7月22日(水)
「絵の住処-作品が暮らす11の部屋」
川村記念美術館に初めて行ったのは、2006年夏でした。「パウル・クレー 創造の物語」を見に行ったのです。その時は電車で行ったので「果たしてこれで行けるのか??」と思いながら言ったのを今でも覚えています。広い敷地にあるお城のような建物で、その点でも印象的だったのですが、何も知らず足を踏み入れた「マーク・ロスコルーム」は、とても印象的で記憶に残りました。
今回関西の友人と再訪。まずびっくりしたのは、最初の部屋の静け-他に観覧者がいなかったせい??-。余りの静かさに耳がきーんと鳴るような気がしました。
ロスコの部屋は、以前は建物の端っこのもっと明るい部屋だったような気が…-教会の礼拝堂を連想した様に記憶しています-。でもこの薄暗さは、ロスコという人物にふさわしいのかもしれません。この作品群を見るために足を運ぶ値打ちはあると思います。
友人とは美術館前のレストランで昼食、鑑賞、お庭を軽く散歩して、午後のバスで東京に戻りました。二人とも早朝家を出たのですが、お天気にも恵まれたので、楽しい遠出になりました。
川村記念美術館に初めて行ったのは、2006年夏でした。「パウル・クレー 創造の物語」を見に行ったのです。その時は電車で行ったので「果たしてこれで行けるのか??」と思いながら言ったのを今でも覚えています。広い敷地にあるお城のような建物で、その点でも印象的だったのですが、何も知らず足を踏み入れた「マーク・ロスコルーム」は、とても印象的で記憶に残りました。
今回関西の友人と再訪。まずびっくりしたのは、最初の部屋の静け-他に観覧者がいなかったせい??-。余りの静かさに耳がきーんと鳴るような気がしました。
ロスコの部屋は、以前は建物の端っこのもっと明るい部屋だったような気が…-教会の礼拝堂を連想した様に記憶しています-。でもこの薄暗さは、ロスコという人物にふさわしいのかもしれません。この作品群を見るために足を運ぶ値打ちはあると思います。
友人とは美術館前のレストランで昼食、鑑賞、お庭を軽く散歩して、午後のバスで東京に戻りました。二人とも早朝家を出たのですが、お天気にも恵まれたので、楽しい遠出になりました。
展覧会:「魔女の秘密展」 名古屋市博物館 7月18日(土)
「魔女の秘密展」
魔女に興味があるわけではないのですが、ヨーロッパの昔話関係もあり、見に行きました。初日という事で、講演会があり、これは色々考えさせられて面白かったです。結論から言うと、「魔女」については大学時代から読んでいた本やドイツ滞在中に仕入れた知識以上のものは新たに知ることは無かったのですが、講演会をお聞きして、所謂「グローバル化」というか「ピザ現象」というか「ラベル張りの均一化」といか、今の時代、文化の多様性がどんどん失われてきているんだという印象を強く持ちました。
電化製品に代表される文明の器機は、グローバル化が進む方が効率が良くなり使い勝手が楽になるのだということはよく判ります。その為に世界基準の統一が進んでいるわけですし。でも「文化」が世界どこに行っても同じ…というのは??と思うわけです。
今回の展覧会でも「魔女」から連想されるイメージのなんとステロタイプなことか、それも商業主義に基づくあのファッションに代表される のです。そして、禁忌の持つ暗闇は忘れられていくようです。
魔女に興味があるわけではないのですが、ヨーロッパの昔話関係もあり、見に行きました。初日という事で、講演会があり、これは色々考えさせられて面白かったです。結論から言うと、「魔女」については大学時代から読んでいた本やドイツ滞在中に仕入れた知識以上のものは新たに知ることは無かったのですが、講演会をお聞きして、所謂「グローバル化」というか「ピザ現象」というか「ラベル張りの均一化」といか、今の時代、文化の多様性がどんどん失われてきているんだという印象を強く持ちました。
電化製品に代表される文明の器機は、グローバル化が進む方が効率が良くなり使い勝手が楽になるのだということはよく判ります。その為に世界基準の統一が進んでいるわけですし。でも「文化」が世界どこに行っても同じ…というのは??と思うわけです。
今回の展覧会でも「魔女」から連想されるイメージのなんとステロタイプなことか、それも商業主義に基づくあのファッションに代表される のです。そして、禁忌の持つ暗闇は忘れられていくようです。
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