「MIWA」
2度目の観劇。
この作品は「少数者の立場の視点」の作品。サイレントマジョリティというこ言葉がありますが、サイレントマイノリティ(という言葉はありませんが…)はもっと多様であり、かつ、常にその声は「奇異」な目にさらされている。でも、よく考えれば誰もがサイレントなマイノリティになりうる。その存在・立場を無視することは、所謂サイレントマジョリティをも無視することに繋がることなのでは??と思いました。
罪なく死んでいゆくマイノリティ、定かではない定義によって貶めらるマイノリティ、一番大事に思っている人々から拒否されるマイノリティ、その苦しみ・辛さを描いた作品と言えるでしょう。
救いはどこにあるのか?救いの光はどこから射すのか?かつての野田作品にあった「救いは地平のかなた」という浮遊感は、すでに遠い過去なのだろうか。他者に救いを求めず、人それぞれがあがく必要を求められているようで、ちょっと苦い気持ちになり日常生活を反省する私です。
ところで、1回目の観劇の時「私キューバに行くわ」で思わず連想したのが、ヤマザキマリの漫画作品。キューバって、チェ・ゲバラ人気で60年代とってももてはやされたんですよね。でも、TVの報道等を見ると、いまだに「キューバ幻想」というか、「あそこにはなにがしかの“楽園”が存在している」という思いが人々にあるように思います-実際、“楽園”なの??貧しくともラテン的陽気な楽しい日々、医療は水準が高くタダ、芸術を結構保護…というTV番組や映画が紹介されています-。ロシアをはじめ社会主義の国が次々崩壊していく中で、どうしてキューバは生き残っているのか?フロリダに不法出国する人もとっても多いのに、どうして????という、本筋とは関係なことが頭をよぎりました。
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