2010年7月18日日曜日

遠征:舞台三作品(「エネミイ」「ザ・キャラクター」「ファウストの悲劇」


6日は新国立劇場で「エネミイ」。
蓬莱竜太の作品は、TVで、
モダンスイマーズの「夜光ホテル」とアル☆カンパニー「罪」を見ました。
割と好きな世界、と思い、チャンスがあったらと思っていたのです。

新国立の「人はなぜ戦うのか」をテーマとした上演シリーズの最後。
今時の郊外の中の上の家庭に乱入してくる異分子(父親の大学時代の“運動”の先輩同志)。
その人達と家族の間に起こる共感と反目を描いています。

“団塊の世代”に対しては、“ポスト団塊の世代”である私は、とても複雑な思いがあります。
そして、“団塊の世代”の子ども世代から見たこの作品は、色々な意味で興味深い作品でした。

印象に残ったのは、
“戦う世代”でありながら、“優しさごっご”の世代でもあった“団塊の世代”に育てられた“今の若者像”です。
その心情を吐露する高橋一生の演技はとても心に沁みました。

それに比べ、“団塊の世代”の描き方は、やっぱり物足りない。
特に、やはり“団塊”に属するであろう母の描き方が・・・・です。
こんなに類型的な「おばさん」になってる?
確かにその面もありますが、闘争に参加しなかった女性にも政治的影響はあった思うし、
社会を利用したもっと「ずるい」「したたか」な面もあるように思うのです。

家族を扱う蓬莱の作風は好きなので、またチャンスが有ったら見たいです。


7日は池袋で「ザ・キャラクター」。
野田秀樹は、同世代と言うこともありますが、私にとって生涯の「アイドル」です。
彼は、私の中にある「もやもやした感情」をきちんとした形にして表してくれるのです。
様々なイメージの奔流の中で、最後、一つの大きな世界を見せてくれる彼の作品は、
ファンタジーであり、リアリズムであると思っています。
遊眠社時代は残念ながら観劇できませんでしたが、遊眠社解散公演「ゼンダ城の虜」で“虜”になって以来、出来る限り観にいっています。

さて、今回の「ザ・キャラクター」ですが、これは、かなり辛い作品だと思いました。
扱っている題材も難しいと思う。
この題材では、村上春樹の『アンダーグラウンド』『約束されて場所で』に、とても心打たれたました。
どうにもならない善悪を超えた感情を感じましたし、人の営みの美しさと儚さに触れたと思ったのです。
それが、今回の「ザ・キャラクター」では、感じませんでした。

過去の歴史を振り返っても、「どうして踏みとどまれなかったのか」とか、
「今となれば陳腐な考えに何故多くの人が賛同したのか」といううねりが多く有ります。
「一線を越える感情」のリアリズムが欲しいのです。
「幼稚な感情」「大人の打算」「憧れ」、それらが「一線を超える瞬間」を見せて欲しかったです。
ただ単に「勢い」では無いはずだと思う。
そこを明確に示さないと、観客はただ単なる「社会現象」をニュースのように眺めているだけになってっしまうと思うのです。
「芝居」は「ニュース」ではない。
もっと本質的な「痛み」を感じさせて欲しい。例え苦しくても、重くても、反発する感情でもよい。
何かしらの「ざわざわしたもの」が欲しい。
「贋作・罪と罰」には「痛み」がありましたよね。


8日は、コクーンにて「ファウストの悲劇」。
クリストファー・マーロウの作品は、デレク・ジャーマンの映画「エドワードⅡ」を観たことがあります。
でもジャーマンだからなぁ(w)。あまり参考にはならないでしょうねぇ。

つくりは面白い思いました。
でも、とりあえずこの話、観客はファウストに共感できないと思うんですよね。
「自己責任」が叫ばれている今、
「取引して良い思いしたんだから、地獄に落ちても“仕方ない”んじゃない?」と言われそう。
現在の流行の言葉で言えば「等価交換」したでしょう?と・・・・。
ファウスト博士はあまり迷ってもいないし・・・最後にそうでられてもねぇ・・・。
まぁ、何時の時代も「最先端の研究者」というのは、世の中に理解されない存在ですけどね。
そうか、その観点で考えれば良いのかしらん???

ホモセクシュアル的な「タンゴ」はステキでした。
でも勝村さんが何故か、オードリー春日に見えた私です(w)。

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