2010年8月31日火曜日

コンサート:ピアノに魅せられて


「ピアノに魅せられて」 8月27日14:30~
若く美しい二人のピアニストのコンサート。
プレコンとしてフルートの方の演奏が付きました。

プログラム
フルート通奏低音のためのソナタ バッハ
シランクス ドビュッシー
シシリエンヌとブルレスク カゼッラ

謝肉祭「4つの音符による面白い情景」 シューマン
2つの詩曲 スクリャービン
2つの舞曲 スクリャービン
小組曲(四手連弾) ドビュッシー

「プロメテウスの創造物」の主題による15の変奏とフーガ ベートーヴェン
アンダンテファボリ ベートーヴェン
ピアノソナタ31番 ベートーヴェン

3時間のコンサートでしたが、ピアノの美しい音色につつまれた幸福な3時間でした。
プログラム構成もよく考えられていて、一つ一つの曲をじっくり聴くことができました。
やっぱり、ベートーヴェンは良いですよね!

コンサート:ア・フィレッタ


「ア・フィレッタ~コルシカの風を聴く」 8月27日20:00~
男性7人のアカペラコーラス。残響を作るために音響機器を使ってのコンサートでした。
イスラム風というか、いかにも地中海の土着の雰囲気が伝わるコンサートで、まさに「聖と俗」。深い祈りの歌声です。70分という短いコンサートですが、中身はいっぱい詰まっていました。人の声の持つ力をとても深く感じさせてくれるのです。

コーラスと言えば、タリススコラーズのような天上的歌声を連想しますが、ア・フィレッタの歌声は、地面から湧き上がる声です。神から与えられる天啓を現す教会音楽とは違う、どうしようもない無常感や生活の中にきらめく力が感じられる歌声です。
この歌声を使ったギリシャ悲劇が観たいかな。

ライブ:コンサート


SMAPライブ 8月26日18:30~
娘に付き合ってSMAPライブへ。SMAPは2008年12月の札幌に続き2回目。
事前に新曲アルバムも聞きましたが、断然ライブの方がショーアップされていて楽しいです。ただ、今回靴の選択を間違えたというか、ビーチサンダルで行くべきでした・・・・。
気に入ったパフォーマンスは、稲垣君のソロ。
昔のブロードウェイミュージカルの1場面みたいで暖かくて楽しかったです。

次回はいつでしょう?
また行くかしら????

この写真は、コンサート中地下鉄栄駅で発見。
ドーム近くの駅じゃなく、栄にあったのは何故?
それにしても、大変長いDVDらしいですよ。

舞台:「森の奥」(平田オリザ+大阪大学石黒研究室)


「森の奥」平田オリザ+石黒浩研究室(大阪大学) 8月24日19:00~
たまたまNHKニュースで大阪大学の試みを放送したのを見て、とても興味を持った試みです。どこで観ることができるのかと-大阪まで行かなきゃならんのか?-と思っていたら、今年愛知トリエンナーレで上演されることを知って、楽しみにしていた演劇。
う~ん、話は意外性が無いというか、以前見た「東京ノート」の方がインパクトが有りました。でも、ロボットは面白かったです、ロボットがロボットの役をするということが。
子ども時代読んだSFがついに目の当たりになったというか、ごく自然に振る舞うロボットがとても印象に残ります。

アフタートーク(この回は平田さんと文部科学副大臣鈴木さん)ですが、これはまた興味深かったです。
観客からの質問で、
「ロボットはどのくらい“自律”しているのか」
という質問が有ったのですが、それに答えて、
「いろいろなセンサーを使ってますが、会話の“間”については、うちの劇団の芝居にはアドリブが無く、会話の間も、お0.3秒、0.5秒と決まっていますので、ロボットのタイムラグについては、役者が合わせています。そうなると、“自律”の定義をどうするかなので、うちの役者は自律してないのか(アドリブ無しできちんと演出が決まっているので)ということになりますが・・・」
と平田さんが返答したのがとても印象に残っています。
それと、この作品のため、たくさんSFを読んだが、人間から見たロボットというのはたくさん書かれているが、ロボットから観た人間というのはほとんどないとのこと。
でも、手塚の「チヒロ」や最近では浦沢の「プルートゥ」なんて作品がありますよね。
この作品でも「ロボット⇔人間⇔類人猿」の関係性はとても考えさせられます。
ただ、「ロボット⇔類人猿」は描けてない。
というか、類人猿は登場しないので、彼らの内面はわからないということになりますよね。
そのあたりが芝居の限界??
と思った次第です。

でも、面白い主題なので、さらに書き続け上演し続けてほしいです。

2010年8月22日日曜日

コンサート:徳川美術館ロビーコンサート8月13日

8月13日17:15~、18:00~2回公演
プログラム
モーツァルト ヴァイオリン・ソナタ 25番
パラディス シシリアーノ
ドボルザーク 我が母の教えたまいし歌
クライスラー シンコペーション
サラサーテ チゴイネルワイゼン

小さい時から知っているお嬢さんのコンサート。
お盆の季節夜間開館している徳川美術館でのロビーコンサートでした。
1回目はたくさんの聴衆のうえ、丁度出入りの時間だったのでちょっと落ち着かない雰囲気。
2回目は、日も暮れてコンサートらしい雰囲気になり、ヴァイオリンもピアノも落ち着いた演奏でした。
私は、2回目のモーツァルトが好き。1回目はちょっと焦った感じだったのが、モーツァルトらしい軽い華やかさと、時折垣間見える優しさ・悲しみが入り混じった演奏が素敵でした。
今の自分に合っている曲の選択というのはかなり難しく、有名な曲ならOKというものでもない。このモーツァルトはとても「今」に合っていると思いました。

クラシックの場合、テクニックがあるからすべてOKというわけにはいかないことが多い。若くて馬力が有り手も良く回ることで引ける曲もあるし、年を重ねることで生まれる曲に対する理解が良い演奏を生む場合もある。そこのバランスが難しい。
プログラムを考えるとき、「今の自分との対話」は欠かせません。

2010年8月20日金曜日

舞台5作品:「さらば八月のうた(M.O.P)」「じゃじゃ馬ならし(オックスフォード大学演劇協会)」「ザ・キャラクター(NODA・MAP)楽日」「黙阿弥オペラ」「父と暮らせば(こまつ座)」

今回は4日間の遠征、5ステージ鑑賞。




「さらば八月のうた」(劇団M.O.P)紀伊国屋ホール8月7日マチ
日替わりゲスト:関戸博一(スタジオ・ライフ)
劇団さよなら公演。実は、M.O.Pを見るのは初めて。主催者がマキノノゾミだということ、キムラ緑子や三上市朗、小市慢太郎が所属している劇団ということくらいしか知りませんでした。
初めてで最後ということになりましたが、中々楽しかったです。マキノノゾミってこういう作風の人なんですねぇ。心温まる作品だと思います。「上海バンスキング」をもっと優しくした感じというでもいいましょうか。「あ、関西の人なんだ」とも思いました。登場人同士の繋がり方が柔らかいんです。もっと早く見るべきだったと、ちょっと反省。でも、見続けるとなるとまた話は別かなぁ・・・?
紀伊国屋ホールに入ったのも初めてでしたが、このホールにピッタリの作品でした。

ところで、最後の演奏は、いつものことなんでしょうか?“つかこうへい”が、必ず「踊って」くれるのといっしょ?
終演後、劇団の方々が物品販売しているのも、なんだか懐かしい風情でした。



「じゃじゃ馬ならし」(オックスフォード演劇協会)東京芸術劇場小ホール2 8月7日ソワ
昨年観た「夏の夜の夢」(プロペラ)がとても面白かったので、今回これを観劇。でも10月にさいたまで「じゃじゃ馬」は上演予定なので、できれば、順番が逆の方がうれしかったかも…と思ったのですが、これが楽しかったのです!
装置はほとんど無し、効果音も無し、というシンプルな作りでしたが、なんというか狂言を見ているような楽しさでした。舞台転換のとき出演者が「歌う」のですが、男女混声のポリフォニー合唱で、これが素敵。次の日鑑賞した友人にアフタートークで質問して貰ったのですが、歌詞はシェイクスピア、曲はオリジナルだそうです。プロペラの時も感じましたが、こういう「合唱」ってやっぱり生活に根ざした伝統なんでしょうね。日本人には無理です。
歌舞伎でもそうですが、シェイクスピアも、筋だけ読むと「なんのことやら??」となります。それが、舞台で上演されると「成程!」と納得する。これこそ芝居のだいご味です。「読む」んじゃなく「上演」されてこその作品であり、時を経ても古くならない「何か」があるんだと思います。シェイクスピアと同時代の戯曲家の作品でも、上演されないのは、それなりの「わけ」があるんだと思い至りました。



「ザ・キャラクター」(NODA・MAP)東京芸術劇場中ホール 8月8日マチ
野田作品の「楽日」を観たことないなぁと思い、抽選先行に入れたところ「当たり」ました。でも、先月観た時、この作品の楽日を取ったのは失敗だったかなぁと…。
やっぱり辛かったです。同じように「事件」を扱った「Right Eye」や「ダイバー」は面白かった。でも、「カノン」は辛かった。
野田の場合、彼自身とリンクする作品や、一人の人間の内面から外へ世界へ繋がるような作品が優れた作品となるのか?多くの人々が雪崩を打って動かされれるような現象を扱ったとき、深みが生まれないのか?
一人から世界へはOKだけど、世界から一人に集約されていくのは、どんな作家でも難しいのか?
といろいろ考えました。
『アンダーグラウンド』『約束された場所で』(村上春樹)も、一人一人を大事に扱うことによって深い悲しみや、空虚感が浮かび上がってきていると思うのです。



「黙阿弥オペラ」紀伊国屋サザンシアター 8月9日マチ
これは、期待していなっかった(w)ので、とても楽しく観るころができました。井上ひさしの作品は、肌が合わないというか、猥雑さにちょっとげんなりすることが多かったのですが、演出が栗山民也だからかしら、かる~く笑って切なさに泣いてという感じになっていて(そういえば、「ロマンス」も栗山演出でしたよ)良かったです。3時間40分も長くは感じませんでした。
特筆すべきは吉田鋼太郎さん。いつもの「ノリノリ、馬力全開」の演技ではなく、登場人物中唯一の常識人を、二枚目で演じてらっしゃって、これが素敵でした。
藤原もいつもより軽い演技で楽しかったし、北村有起哉のはじけっぷり(大倉孝二を思い出しました)や、松田洋二の妙に滑舌の良い可笑しさと相まって、コメディとして笑えました。
バランスの良い作品だったと思います。



「父と暮らせば」池袋あうるすぽっと 8月10日マチ
最後は、井上作品の中でも名作の誉れの高い作品。大学の授業で舞台録画を見た息子が「とても良い作品だから」と言っていましたので、今回の再演は期待して出かけました。
期待に違わぬ名作です。この深い悲しみ、そして優しさ。かつてその事態に直面したであろう人々の思いが伝わります。声高に叫ぶのではなく、密やかに切々と、でもどうしようもなく誰にぶつけるのでもないやりきれない憤りが伝わるのです。
「家族」というのは最少単位の社会ですが、その中で繰り広げられる出来事は、広く世界へ繋がるのだと今回改めて思いました(シェイクスピアでも「リア」はそうだと思う)。
戦争だけではなく、様々な局面で、私たちは何かしら家族や友人を犠牲にしているのではないかという思いも持ちました。
広島弁が美しく響きます。
毎年夏に上演して欲しい作品です。
ちなみに息子は10日ソワに観劇。彼は井上作品は苦手なんですが、「良かったでしょう!皆観るべき」と後日言っておりました。

と10日以上が過ぎてから漸くまとめを書きました。

東京遠征:美術館「有元利夫展」「ブリューゲル版画の世界」「幽霊画-全生庵」

「有元利夫-天空の音楽」8月8日
没後25年の記念展覧会。有元利夫さんの絵は、本の表紙やCDジャケットによく使われています。ジオットに代表される初期ルネサンス絵画のフレスコ画を連想する作風。
私は、この静かな佇まいが好きです。多分、修道院が好きなせいでしょう。
それにしても、大学卒業制作の時、すでに作風を完成している(すぐ、“有元”と判る)のは、やっぱり凄いです。見えている世界が違うんでしょうね、こういう人は。
会場は、東京都庭園美術館。アールデコの建物の小さな部屋を巡りながらの展覧会は、とても作風とあっていて素敵でした。
「作品を通して自分と向き合う」というのが好きというか、作品の中に入り込み包まれるように感じていると、幸せな気持ちになれます。



「ブリューゲルの版画の世界」8月9日
こちらは、大学時代に勉強したブリューゲルの作品。大変人気の展覧会とのことで、月曜日の朝イチに行きました。
この手の北方ルネサンスの作品は、あまり好みじゃないのです。でも、思い起こせば、中学時代展覧会らしい展覧会に初めて行って購入した絵葉書がブリューゲルの版画「夏」でした。今回、その懐かしい作品に再会(?)できたのはうれしかったです。
「七つの原罪」は、絵画として面白いとは思うのですが(大体アート作品では“天国”より“地獄”の方が面白い)、個人的には「七つの徳目」(なかでも「正義」)の方が好きです。
同時代の他の作家の作品も多数あり、興味深かったです。

「全生庵-幽霊画」8月10日
谷中全生庵にて、円朝にちなんで8月中「幽霊画展」をやっています。
実は、8月8日の「円朝まつり」の日、前は通ったんです。でも、あまりの人手に暑さが加わり、おまけに一人でしたから、縁日に賑わいには入れませんでした。
10日午前、小雨の中再度出かけたところ、それでも鑑賞の人がそこそこいて、やっぱり東京は…と思いました。
絵は、江戸末期から明治の掛け軸が主体。丸山応挙作と伝えられているのもが目玉。幽霊画もこれだけ揃うと、なんとなく人の見ている「幽霊像」みたいなものが感じられ、興味深い。おまけに会場がお寺の本堂の一角の古びた部屋で、その古びたエアコンの音がなんだか「昭和」を感じさせ、一気にタイムスリップしました。中々、得難い経験です。江戸から続く東京の歴史も感じました。

2010年8月7日土曜日

漫画「ZOO KEEPER 」


兎に角暑い!頭がボケボケです。
ですから、「本」は読めません!
我が家の「漫画部屋」を物色したところ、夏休みにピッタリの漫画発見。

とある動物園の飼育員を主人公としたこの漫画、結構面白いです。
絵は地味目ですが、ちゃんとキャラクターはかき分けられていますし、
話は共感できるストーリーに仕上がっています。
漫画になる前、どんな仕事をなさっていたのでしょうか?
我が家には6巻までしかないのですが、8巻まで出ている模様。
なかなか店頭でお目にかかれないのがネックでしょうか。
読みたい!

2010年8月3日火曜日

AKIRA


CS放送で大友克洋の「AKIRA」を何年振りかで見ました。
80年代から90年代、大友克洋の作品にハマりました。
「ショート・ピース」に収められている作品群は、連載時に友人に教えられ、こんな漫画を描く人がいるんだとびっくりしたことを記憶しています。
その後、「さよならニッポン」を読み、「気分はもう戦争」は連載で読みました。
そして「童夢」に続き、「AKIRA」です。
「AKIRA」は、連載ではなく、DXコミックで一気読みする楽しさを感じた作品。
わくわくしました。

昨年『1Q84』を読んだとき、ボディガードのタマルを、誰かに擬えて読んでいるような気がずっとしていました。
今回アニメ「AKIRA」を見て、そうか、「大佐」に擬えていたんだということが判明。

大友の作品は繰り返し読んでいるので、結構頭の中に染みついています。
無意識のうちに絵を引っ張ってきてます。

しかし、今回アニメを見てしみじみ思ったのは、
1988年に作られた21世紀を舞台にしたこのアニメでも、「ケータイ」は予測できなかったんだということ。
かつてのスパイドラマで、時計やバッジの大きさの無線が使われていましたが、そんなちゃちなもんじゃない今の「ケータイ」の発達は、誰も予想できないことだったのでしょうか。

そういう細かいことはありますが、「AKIRA」はやっぱり、すごい作品だと思います。